2020-01-30

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最近よく目にする「反出生主義」という言葉、全く調べず聞きかじりだけの知ったかぶりで言うと、この世界に子どもを産みたくないということだそう。世界は負の遺産まみれで産まれる子どもはかわいそうね、という気分はわかるけど、それを主義とするというのはどういうことでしょうか、よくわかりません。全く調べず聞きかじりだけの知ったかぶりで言えるのはこれくらい。

山本美希さんのマンガ『かしこくて勇気ある子ども』(4話まで公開)はそういう今日的なテーマが感じられて、先日POP LIFE: The Podcastでも少ししゃべったですが、その激しい圧力が全画面に行き渡ってるような絵がとてもカッコイイです。

(2.16追記)
絵がとてもカッコイイ、と無邪気に書いたけど、そのカッコよさは作者がこめた切実なメッセージが圧力として絵に現れている結果でもあると考えると、この作品に対してカッコイイと評することは、たとえば男女の不平等や子どもが戦争・テロの犠牲になることについて、それらもまた作品を構成する重要な要素だとして肯定することになってしまわないだろうか?たとえば、自分がマルジャン・サトラピ『ペルセポリス』を称賛することは、女性差別や戦争に結果的に感謝していることになってしまわないだろうか?作者が必ずしもカッコよさを意図せず、政治信条のためのアクションとして描いたのだとしたら、それに対してカッコイイと評することは本質的に不誠実なのでは?カッコイイという現状肯定的な評価は運動にとって足かせでしかないのでは?そういうことを、後から思いました。実は、自分はもともとそういう奴です。大好きな高野文子先生のマンガも、自分にとってはほとんど絵のカッコよさにしびれることが全てで、メッセージ的な部分について思い巡らしたのはずいぶん後になってからだし、「こういう絵を描くためにはこういう思想が必要になる、それにはこんな敵が必要であって…」という、絵から逆算して思想を知るような倒錯的な考えもよくしています。自分は倫理的に不まじめで動物的な、ただの作画オタクなのです。去年、Ollieというファッション雑誌のTシャツ特集でKKK(クー・クラックス・クラン)のTシャツが普通にビンテージとして紹介されていました。それを見て、自分はそういう不誠実な態度に正直シンパシーもあるものの、KKKの記号自体をそもそも知らない子供がこの雑誌を見るかもしれないと思うと、少し嫌だなと思いました。せめて、兵器の描写に血道を上げつつも適宜反省して反戦を掲げるミリタリーオタクくらいにはけじめをつけた方がいいかもしれない。今回の場合は、今のところ、広く紹介するという目的やいくつかの理由を考えてそのままにします。