ローズマリーの束

goat – ON FIRE

数週間前、拙宅の庭のすぐ裏手に新しく家を建てるというご夫婦が、わざわざ訪ねていらして「きっと工事がうるさくなると思いますので…」とご丁寧にフェイスタオルをくださったとき、なんとよく気がつくご夫婦だろう、そんなにお気になさらずに、もし万が一うるさかった時はいただいたこのタオルを耳の穴に詰め込みますから、ははと軽く受け止めていたのですが、いざ工事がはじまると予想の10倍うるさく、いつも朝起きるのが遅い自分は騒音に叩き起こされつづけ、このままでは健康な朝型生活になってしまいかねません。

その裏手にはもともと老朽化した邸宅が建っていました。住人の方とは交流がなく、いつの間にそこを立ち去ったのかわかりません。とにかく、数ヶ月前にパワーショベルがやってきて、取り壊しの工事がはじまりました。そのときもまたすさまじい騒音でした。なにしろ距離が近すぎるのです。そして取り壊し工事が完了し、裏手が完全な更地になってからの数ヶ月間、我々に思いがけない出来事が起こりました。はじめて太陽を満喫することができたのです。もともと拙宅は周囲が高い建物に囲まれた、あまり光が届かない立地で、遮光カーテンも必要ないこのじめじめした家を、家族もあまり気に入ってはいませんでした。引きこもって音楽を聴いていることが多い自分は、闇の中でも平気なつもりだったけど、庭を影で覆いつくしていた邸宅が取り壊されただけで、こんなにも太陽にありつけるとは、本当に驚きました。洗濯物がめちゃくちゃ乾くし、朝日のふりそそぐベッドでごろごろして、家族の機嫌もよく、ハーブの栽培なんかまではじめて、家じゅうが光と香りに満たされ、インドア派の自分ですが、さすがに感動しました。まさかこの家がこんなに素敵に生まれ変われたなんて・・・でも、あの素敵なご夫婦のことだから、いま建てようとしてる家はきっとまた立派な家にちがいない。大きな家が完成し、うちの庭はその影にすっぽり覆われ、またもとの闇に閉ざされてしまう。太陽は照らす相手を選ばない、だが、人間がそうはさせない。光には厳然と優先権があるから、家族の顔にも影がさしてしまう。ご夫婦が我々に渡されたフェイスタオルは、白旗がわりにこれでも振れというメッセージだったろうか。おかえしに、腕いっぱいのローズマリーでも贈ろうか。うちの庭で太陽を吸った元気なローズマリーの束を、まもなく闇の底で枯れ果てる前に、せめてもの慈悲に根こそぎ刈り取って。とうてい無視できない工事の騒音が、闇なる日々の再来を告げているしだい。

ジョン・ケージに「楽音と非楽音に区別はない」という言葉があるそうです。でも自分の耳には、工事の音(バリリリ、ガンガン、ギュイー、ゴロンゴロン、ドガガーン、オーイなど)は耳障りなばかりで、とうてい音楽に聴こえたことはないです。むしろ、そこでなにか音楽をむりに流しても、少しでもメロディがあると、工事の騒音によって無残に引き裂かれ、逆に騒音が一個増えるだけです。かといって、ただのノイズでは元よりかける意味がない。

でも、音楽っぽい規則性がありつつ偶発性も許されそうな、ちょうどいい按配の音楽が迎えに来てくれたらどうか? つまり、ちょうど工事の騒音が音楽に聴こえるようなBGMはないものか? ジョン・ケージを信じて、色んな音楽をかけて試してみました。あれでもない、これでもない・・・

正解はありました。それはgoatでした。今まさに工事が行われているときgoatのアルバムをかけると、その音楽にみちびかれ、工事の音がはじめて音楽に聴こえだしました。

(バリリリ、ガンガン、ギュイー、ゴロンゴロン、ドガガーン、オーイ)

「うるせ〜・・・ あの夫婦〜・・・ この人生〜・・・」

(バリリリ、ガンガン、ギュイー、ゴロンゴロン、ドガガーン、オーイ)+(goatの音楽)

「アガる〜!!! あの夫婦〜!!! この人生〜!!!」

世界に工事がある以上、工事の騒音はつきもので、世界に色んな音楽が必要なのは、色んな現実があるからかなと思いました。皆もやってみてください。