2020-03-25

子供のころ映画「酔拳2」を見ました。ジャッキー・チェンのありえない活発な体の動きにしびれました。同じようにサーカスもしびれました。あとMGMのミュージカル映画も、ありえない活発なダンスの上にありえない豪華な美術という2重のありえなさにしびれました。

パルクールを見るのも好きです。パルクールにもいろんなスタイルがあるようなのですが自分は全然詳しくなくて、ただいくつか見た中で「ありえない活発な体の動きを見てしびれたい」という自分の欲望からいうと最高だった動きは「高いところに登る」と「高いところから降りる」です。普通なら階段を使ってようやく到達できる階に、違う角度から自由な経路で移動するとき、ありえない感覚を強く刺激され、しびれます。

オーストラリアのShane Griffin氏は映画のスタントなどもされているパルクールのアスリートで、「高いところに登る」の動きを得意としており、飛んだり跳ねたりしながらホイホイ登っていく動画ばかり満載されたinstagramを見つけたとき、めちゃくちゃ興奮しました。

たまらないです。自分にはちょっとした好みがあって、たとえば彼が監視カメラにぶら下がるときには、そこは全体重かけて大丈夫?壊れない?と心配になり一瞬現実にかえりますが、それ以外はほとんど全ての投稿を繰り返し見てます。

もし、めちゃくちゃ足が速い人が目の前で思いっきり走ってくれたら、自分は感動すると思います。その脚力でどこへでも行けることを想像し、感動して、ジャッキー映画のように笑うかもしくは神妙な顔でしびれるか?それが100メートル走ならきっと笑いころげる方でしょうし、マラソンなら距離の長さを噛みしめてジワ〜としびれるでしょう。

ありえない活発な体の動きがいっぱい見られるお祭りであるオリンピックも、たまたま点けたテレビで流れているぶんには好きです。でもその好きは、大会にまつわるいくつかのつまらない経緯を知って想像力がしぼむと、なるべく自分とは関係ないところで早く通り過ぎてほしいと思うような、そんな程度です。

いや、そんなこと言ったって、オリンピックは世界の一大行事であって、参加国の国民は全員否応なく関係していて、自分も例外じゃないですよ。という現実を踏まえつつ、自分が言いたいのは、

現実にしぼんでしまった想像力と、途切れてしまった興味をどうするのか(自分のために)という話で、それでも人生を楽しく過ごすため、自分は何か別のもので代替しようとするはずで、おそらくその事情のために、自分はShane氏のinstagramばかり見ています。自分にとってShane氏はオリンピックの代替物。しけてないオリンピック。しびれるだけのオリンピック。ShaneこそTokyo2020。Shane最高!

2020-02-21

ゾフィーさんの単独ライブ「君はシリアス」のグッズのイラストを描かせていただきました→

昨年テレビで見たキングオブコントでふくちゃんが大好きになりファンアートを勝手にSNSで投稿していたことがきっかけで今回お声がけいただきました。ありがとうございます!✨

(2.27追記)
残念ながら、開催が見送られるそうです😂→

2020-02-11

『ジョジョ・ラビット』
(装画担当するコルドン<ベルリン三部作>と舞台が重なるので参考のため観ました)
「‪いつも大人から守られる特権的な立場の少年が、上級生におちょくられたくらいで理不尽に扼殺されたウサギに自分の運命を重ね合わせるなんてウサギに失礼では?」熱心な動物愛好家の(とする説がある)ヒトラーが少年につめよってきて、少年あやうし・・・という二次創作を考えました。

2020-02-10

Apple Musicで歌詞を見たら、後半で「you’re not alone, you’re not alone…」と畳み掛けるくだりで一箇所だけ「you’re not you」となっていたので、やば…どういう意味?深すぎ…考察ない?Geniusとか…と興奮しながら検索してみると、どのサイトを見てもそこの歌詞は「you’re not alone, girl」となっていて、どうやら最初に見たApple Musicだけ歌詞が違っていたようでした。音で聴くと、自分の耳ではどっちともわかりませんでした。いい曲と思いました。おわり。

↑Apple Musicより

2020-02-09

春一番が終わるそうです。物心つく頃から家族でひんぱんに訪れ、スタッフとしても1〜2年ほど参加しました。レゲエや河内音頭で踊ったり、服部緑地公園から天牛書店へ何度も散歩をしたことは自分の原風景です。風太さん、アベちゃんさん、本当にお疲れさまでした。‬

2020-01-30

👶👶👶

最近よく目にする「反出生主義」、全く調べず聞きかじりだけの知ったかぶりで言うと、この世界に子どもを産みたくないということだそう。世界は負の遺産まみれで産まれる子どもはかわいそうね、という気分はわかるけど、それを主義とするというのはどういうことかよくわかりません。全く調べず聞きかじりだけの知ったかぶりで言えるのはこれくらい。

山本美希さんのマンガ『かしこくて勇気ある子ども』(4話まで公開)はそういう今日的なテーマが感じられて、先日POP LIFE: The Podcastでも少ししゃべったですが、その激しい圧力が全画面に行き渡ってるような絵がとてもカッコイイです。

(2.16追記)
絵がとてもカッコイイ、と無邪気に書いたけど、そのカッコよさは作者がこめた切実なメッセージが圧力として絵に現れている結果と考えると、単にカッコイイと言うことは、男女の不平等や子どもが戦争・テロの犠牲になることについても、作品を構成した要素として肯定することになってしまわないだろうか?たとえば自分がマルジャン・サトラピ『ペルセポリス』を称賛することは、女性差別や戦争に結果的に感謝していることになってしまわないだろうか?作者が必ずしもカッコよさを意図せず、政治信条のためのアクションとして描いたのだとしたら、それに対してカッコイイと評することは不誠実なのでは?戦うという運動に対して、カッコイイという現状肯定は足かせなのでは?そういうことを、後から思いました。自分はもともとそうで、どんなマンガも自分にとってはほとんど絵のカッコよさにしびれることが全てで、物語もあまり真剣に見ていないし、メッセージについて思い巡らすのはずいぶん後だし、その時ですら「こういう絵を描くためにはこういう思想が必要、それにはこんな敵が必要で・・・」と、絵から逆算して思想を知るだけの、つまり倫理的にも不まじめなただの作画オタクなのですが、去年、Ollieというファッション雑誌のTシャツ特集でKKK(クー・クラックス・クラン)のTシャツが普通にビンテージとして紹介されていたのを見て、その記号を知らない子供がこの雑誌を見るかもしれないと思うと、少し嫌だなと思ったことを思い出し、カッコイイと言う前に少しけじめをつけた方がいいかもしれないと、そういうことを、後から思いました。