2021-07-29

加藤久仁生さんとのトークイベント配信を見てくださった皆様ありがとうございました。加藤さん、絵やアニメーションのお話などなんでも話してくださって嬉しかったです。

モトリー・クルーのトミー・リー氏に憧れてかつてドラマーをされていたそうです。加藤さんが「かっこいいんですよ、ライブでドラムが回転して・・・」とおっしゃった時、モトリー・クルーを知らない自分は、ドラムセットごと横向きにグーンと回転しながら演奏する図を想像して、それは派手ですね!と言いましたが、よく聞くとドラムセットごと縦向きに回転しながら客席の上空を移動しながら演奏したという、もっとすごいお話だったので、めっちゃ笑いました。

このたび東京五輪が強行されることを危ぶみオンラインでの開催となりました。実際その影響でコロナの感染が拡大しているそうです。ぜひ来てくださいと言うのも無責任なようですが、展示はひきつづき代官山蔦屋書店にて8月19日まで開催されています。

2021-07-21

『さいごのゆうれい』×『オイモはときどきいなくなる』 ー往還-うら山のロールキャベツ
蔦屋書店2号館1階ギャラリースペースにて昨日はじまりました。8月19日まで開催中です。大変ありがたいことに絵は完売して、カラーの額装アートプリントがひきつづき販売中です。グッズも色々あります!

7月28日、加藤久仁生さんとオンラインのみでトークイベントを配信します。ぜひ見てください→

あるいは現代のプロメテウス

漫画家のあいだではよく知られた技として「替えたばかりのペン先には余分な工業油がついているから、火で軽くあぶってから使う」というのがあります。手塚治虫先生の『マンガの描き方』でも紹介された技ですが、それに対し「いや、それ別に描きやすくならないよ」という意見もあり、そこは漫画家によって諸説ある感じです。じっさい物理的にはどうなの?というと、はっきりした回答はひとつあって、文房具メーカーさんが公式に「火であぶるとペン先の硬度が変わるので、メーカーの立場から言うと、あぶらないのが正解です」との見解を昔から出されています。それを見て、ああこれだめなんだ、と思った人も多いかと思います。

しかし2021年、

ペン先を火であぶるのはありかなしかという話題がなつかしく感じるほど、漫画制作の覇権がデジタルへと移行して久しい今、若い人がデジタルなのは当然として、かつてアナログだった人も継続可能性やネットワーク効果の観点でみてデジタル移行しない理由を探すことはじょじょに難しくなりつつあります。

今アナログで漫画を描いてる人はアナログ表現の可能性に賭けているか、何らかの理由でデジタルに馴染みがないか、何らかの理由で移行するコストが上回るか、もしくは何らかの実存が抑圧されることに抵抗しているかもしれません。

デジタル世代からすると、ペン先を火であぶる技というのは、まずそもそもメーカーさんが否定するような非合理な技がなぜそんなに流布したの?と疑問に思われそうな気がします。

おそらく「新しいペン先がインクをよくはじき、少し火であぶるとインクがなじむようになる」という現象を自分も含めて多くの漫画家が経験していて、だからこの技が流布したんだと思います。それに対しメーカーさんが公式に「都市伝説だ」と反論する背景には、「新品には余分な油がついてる」という説が広まりすぎて品質にケチがつくことへの恐れもあるのかなと想像します。もちろん自分としては商品になんの文句もなく、めっちゃ満足してめっちゃ買っており、その上で言うのですが、漫画家は火であぶってペン先が硬くなったらわりと気がつくと思いますし、合理非合理に限らない思惑があると思います。

これは全員そうではありませんが、自分はペン先を火であぶって油を飛ばした後、さらに水につけます。机に常備してあるライターに火をともし、ペン先を近づけて2〜3秒間あぶり、油が飛んで少し焦げたそれを、水に浸した瞬間小さく「チュッ」と音がする。このとき脳内に展開しているのは鍛冶屋が剣を炎にかけて鍛え、赤熱したそれを水に浸して冷やしているイメージ。

あぶった直後に水につけることは、油を飛ばすためとかとも関係なく、なんなら急熱急冷でペン先がより歪むはずで、効用は何もなさそうですが、それでも、自分は職人っぽさを実感するためだけに水につけています。

職人っぽさを感じたいから無駄な工程を増やすなんて職人が一番すべきでないことかもしれません。でも、本当にそうでしょうか。ペン先を火であぶるとき、正直その行為が妙にかっこよく感じる気持ちはなかったでしょうか。やったことない人は想像してください。ライターに火をつけ、ペン先を近づける。瞳のハイライトに三角の影が映り込む。それです。その気持ちこそ、都市伝説がいくら非合理と言われながらも根絶されずに生きてきた所以じゃないでしょうか。

喫煙者と同じように、世の中にアナログ漫画家の生きられる場所はみるみる狭くなっていく。昔は大きめの文房具店ならしばしばスクリーントーンが買えたのに、今やごく少数のお店でしか買えず種類も限られる。若い編集者はB4サイズの生原稿のでかさに驚き、紛失や破損など余計なリスクを煙たがる。漫画家の「まあ色々と手間はかかるけどオレっちの自業自得だからよ」という居直りは嘲笑されるまでもなく、ただ周りに迷惑をかけ、価値観のアップデートを放棄した、無自覚で残念な老害の類型とみなされそう。

アナログで漫画を描いていたことにどの程度自分の尊厳があるのか正直自分でもわかりません。でも10年前、誰かのデジタル漫画がトンボのある原稿用紙に印刷されあたかも本物の複製原画のように飾られてるのを見て、思いがけず激昂してしまったことがある自分は、自覚してる以上に保守的かもしれません。

堂々と私が私の死を死ぬためには、できるだけ何ごともないかのような顔をして生きたい。デジタルに移行してないのに合理性がどうとシャバいことを言うつもりはない。こうなったら後悔したり謝ったら負け。どうせならペン先を火であぶるだけでなく、ライトボックスの蛍光灯で目をつぶし、稿料を現金書留で受け取り、ベレー帽をかぶり、部屋で逆立ちをし、共同の流しで水浴し、丸が描けなくなったと言いながら、2階の窓から抜け出して、どこまでいけるか試したい。

火を見つめてスピるのは厨二病、非合理、都市伝説・・・などと反省していたいけど、もともとそんな火やスピや厨二病や非合理や都市伝説だけが自分の全てだったかもしれません。 

「やはりね、どこか描きにくいようにも感じていたが、やはり都市伝説だったんだね。

まあ自分の場合、己の魂に火をつけペンの”“となるためにやってるから、多少不便があっても仕方ないのだけどね。「主」とは燭台に灯る火をあらわす象形文字で「火>ひとところにとどまるもの>あるじ」と意味が転じたもの。あるいは別の説によると、かつては神聖な灯火を守ることが家の「あるじ」の誇り高いつとめであり、そこから意味が転じたとも。

ギリシア神話ではプロメテウスが人間に火を与え、その火を基盤として人間は文明を作った。一方で華々しく科学技術を発達させ、他方でゼウスの予言どおり武器を造り戦争をはじめた。火を支配したつもりで火に支配されるのが人間の歴史であり、君の大事なiPadやクリスタやシンティックもその一環だろう。

火、よかったら君にも分けてあげようか」

今後はこれでいきます。

2021-06-28

ロロいつ高 vol.9と10を観ました。俳優の皆さんの楽しい演技で、一人ずつ他人が他人でなくなり全員が愛おしい優しい世界が広がると、ああ今いつ高を観ていると実感します。いつ高という場所ではいつも色んな人やものが四季のように流転していて、円環がそっと閉じるような、こんな終わり方もあるんだと思いました。

最後まで関われて本当に嬉しかったです。ありがとうございました!

スペースで好きなバンドの話をして楽しかった日記

バスクのスポーツというプログレバンド(語れるほどプログレを知らないですが自分でもわかるくらい真摯に取り組まれてるのでそう書きます)が好きです。若手バンドにプログレという惹句が使われる場合たいていはところどころ変拍子や不条理展開をとりいれたくらいの意味かと思いますが、バスクのスポーツは本当に文字通りのプログレだと思います。1stアルバム「運動と食卓」を聴いてください。

昔プログレの名盤といわれる作品をいくつか聴いたときは正直、歴史的すぎてピンとこないことが多かったですが、例外的にめちゃくちゃ好きになったのがアレアというバンドでした。強力な歌唱や即興や音楽の多様性や学生運動が渾然一体となった地中海の熱気を感じたくてよく聴きました。バスクのスポーツを初めて聴いたとき、叙事詩的な物語性と祝祭的な哄笑が同時にある佇まいがアレアっぽく感じて一発で好きになりました。そしてライブに通い「こんな風に演奏してるんだ」と認識するにつれ、不思議なことに今までピンとこずにスルーしてきたプログレの名盤たちが急にリアルに感じられてきて復活してくるという奇跡を体験し、バスクのスポーツのルーツをたどる形で今もプログレを再発見しているところです。

最近ツイッターのスペース機能をよく利用してて、というのも自分は1.9万人近くフォローしているおかげかつねに誰かしらのスペースがタイムラインに並んでおり、知らない人のスペースにリスナーとしてお邪魔してラジオのように聴かせてもらう行為を繰り返してるのですが、先月あるスペースでイタリアンプログレについて話されてる方がいたので、初めてリクエストを送って一瞬だけスピーカーで参加し自分とフォロー関係ではなかったその方にバスクのスポーツをおすすめしました。そしたら昨日また別のスペースでその方と再会し、あの後ハマってくださったらしくバスクのスポーツの話をしました。

バスクのスポーツがコロナ禍で配信した無観客ライブ「Live at Neo Pompei」を話題に出すと「たしかにピンクフロイドのLive at Pompeiも無観客ライブなので引用に必然性がある、あれは当時流行ったウッドストックフェスの逆張りとしての無観客だったけどくしくもそっちの方が通常になってしまったコロナ禍の現状まで表してる」というような反応をくださり、初めてそういう会話ができて嬉しかったです。

ただそんな風にコンセプトに思いをめぐらしたのは後々のことで、リアルタイムではギターのカミヤさんがおもむろに透明人間になるパフォーマンスに爆笑してただけだったことを正直に記しておきます。

2016年末に「Regatas de traineras」のMVで知り、練り上げられた祝祭的なエネルギーに胸を打たれました。この映像が本当に好きで、躍動する4人の姿に心が洗われます。かつて青春パンクというジャンルが流行りましたがもしも青春プログレというものがあるとしたらこんな風であってほしいです。

2018年のシングル「Sandbox」では打ち込みの導入や藤倉麻子さんのアニメーションの新鮮さもあって1stアルバムとはまた別の新しい感触を模索している感じが伝わってきました。こちらもとても大好きです。

2021-05-28

6月12日に開催を予定していた、穂村弘さんとのトークイベントは、残念ながら中止となりました。

※開催中止 西村ツチカ×穂村弘 トークイベント

当初は1/17に開催するはずだったのが、1/8に発出された緊急事態宣言(2度目)で一旦延期とし、あらためて6/12に再設定して告知したら、またしても緊急事態宣言(3度目)がこのたび6/20まで延長され、ついに中止となりました。

穂村弘さんをお招きしての、大事な『ちくまさん』刊行記念イベントが、1度ならず2度までも流れてしまいました。本当に残念です。この本がどっかの誰かへ届きますように、祈ってます〜!