神戸 2023

神戸・三宮からまっすぐ南へ歩いていくと市役所の本庁舎があり、その隣に「東遊園地」という、遊園地みたいな名前の公園があります。

ここは神戸まつりや神戸マラソンなど大規模な行事の会場として使われるほか、阪神大震災の慰霊碑があったり震災の追悼行事やルミナリエの会場でもあるため、震災を記憶する場所という印象も強いです。かなり広い公園ですが、かつては人通りが少なく、自分は中学生の頃の塾帰りやたまの音楽イベントでときどき訪れるくらいのもので、夜間に若者らがスケボーを練習している殺伐とした場所というような印象を持っていました。

ところが、昨日数年ぶりに神戸へ帰郷したついでに東遊園地へ立ち寄ってみたところ、完全に生まれ変わっていました。広い芝生空間に多数のベンチ、カフェや屋外図書館や子供のための施設があり、そこに子供連れの家族たちや犬の散歩者たちやさまざまなカップルたちやラップトップを広げる人たちなどがたくさん憩っていて、東京でいうと宮下公園や代官山蔦屋書店を思わせる、過ごしやすい都市公園になっていました。イベントでもない日の東遊園地に、こんなに人が集まっているなんて!驚きました。

「東遊園地はここ数年で再開発が進んでこうなった」と、神戸に住む母が教えてくれました。さらに三宮の駅前で大きな工事が進んでいる光景も見ました。阪神大震災からずっと停滞していた神戸の新陳代謝が今やっと動きはじめたんちゃうか、と母は言いました。母は、東遊園地が、大好きなパリなど外国の都会にも通じるような明るく開かれた場所に生まれ変わってくれて嬉しいと言いました。自分も同じように感じました。

ただ足を踏み入れてすぐに、入り口付近にあった巨大な花時計がなくなっていることに気がつきました。2019年に東遊園地内の最南端に移設されたという花時計は、顔を海のほうへ向けられていて、ぐるっと回り込んでやっと見えました。市のシンボルであった日本最古の花時計がこんなに追いやられるとは。公園がユニバーサルになっていく一方で、かつての神戸を特徴づけた個性が退けられていく寂しさを感じました。まあでも撤去されてないだけマシですし、そんなのは長いあいだ神戸を離れている元市民の自分の感慨にすぎず、なによりも現在の住民の意向が尊重されるべきだと思います。

その花時計からまっすぐ西へ向かうとメリケンパークにたどり着きます。港湾と平行する高速道路の高架に囲まれ、赤いポートタワー、白い巨大な鯉のオブジェ、オリエンタルホテル、ホテルオークラなど象徴的なランドマークが並び立つ、たまらなくアーベインな埋立地で、神戸のウォーターフロントなイメージを長らく担ってきました。

前日、そのメリケンパークの中をひとりで散歩してきた家族(東京育ち)が、大意こんな内容のことを自分に言いました「神戸の風景ってどこかいびつで、西村ツチカのイラストっぽい。要素の一つ一つが伝統や人情によって結びついているわけでもなく、ただ冷たく並んでいるように見えて静かなカオスを感じる」たしかにメリケンパークは実家のすぐ近所であり、まさに自分の原風景そのものなので、そう言われて嬉しく思うとともに、自分のイラストににじむカオスや「かつての神戸っぽさ」も、花時計と同じように、いまに退けられるようになるのかもしれないとも感じました。

でも、東遊園地が再開発されて生まれ変わったことは本当に良かったと思います。失われると再現できないものは保護したくなるものですが、ネガティブな個性も存在しうるし(花時計がそうだという意味ではないです)、誰しも余裕がない今、目の前の生活のための施策を優先させることは正しいことだと思います。もしもとるに足らないような個性までもなるべく残したいなら、もっと前の時点で何かできることはなかったかと考えたいです。

花時計が移設されていた一方で、東遊園地の中央付近にある「慰霊と復興のモニュメント」は残されていました。これは2000年に設置されたもので、1.17の追悼行事のさいに献花やキャンドルが据えられるさまがテレビ番組などでよく報道されます。パッと見、小さな滝のような水の流れるさわやかなオブジェですが、じつはその一部分に地下へと続く入口があり、暗くて曲がりくねった一本のトンネルを進んでゆくと、最深部にあたる不思議と明るい「瞑想空間」に出ます。そこは全方位を慰霊碑に囲まれ、地下からガラスの天井ごしに水がはじける空を見上げることができるというものです。平和で日常的な公園に突然空いている穴に足を踏み入れるときわめて厳粛な慰霊空間にたどりつくという体験は、ちょっと背筋の冷たくなる地獄めぐりのような印象があります。なぜ単純に慰霊碑を建てるのではなくこんなに凝ったつくりなのでしょうか?

震災から28年、少しずつ市民が厄災の記憶から解放されていく中で、このモニュメントの印象はどのように変化してきたのでしょうか。自分が想像したのは、平和を祈念するにあたって、とくに深刻で陰惨な部分は見えない地下にしのばせておき、表向きには平和そのものを体現するという、表裏一体の二層のつくりを持つことが、もしかしたらこのモニュメントの存在をいくらか永らえさせているかもしれないということでした。つまり平和だけでも深刻だけでもなく、その2つを往還する体験それ自体が「復興」のあり方を表現していると同時に、未来への歩みを止めずに記憶を残すための工夫でもあったのでは。いや、もしかしたら大掛かりすぎて移設したくてもできずに残ってしまってるだけかもしれないし、実際の意図はわかりませんが・・・

そういえば、阪神大震災から11ヶ月後に催された第一回神戸ルミナリエは、追悼や復興祈念といったまじめな目的とは裏腹に、むしろひたすら多幸感に溢れたイベントで、被災者である自分も震災のことなど一瞬も思い出さず、ただただ視界を光で満たす行為を夢中で楽しみました。そうであるからこそ多数の観光客を呼び戻すことができ、そのことが復興につながりもしたと思われます。つまり被災地を癒すことがすなわち「被害を忘れさせる・暴力を見えなくする」ことになっていて、だからこそ同時に被災の記憶を確かに残すための慰霊碑も必要であるという、それらが表裏一体の二層構造になっていることは、レトリックではないリアルな実感としてわかります。そしてその二層のあいだは、平和な日常でも厄災の記憶でもない、暗くて曲がりくねった一本のトンネルでつながっているということなのかなと思いました。

自分は『北極百貨店のコンシェルジュさん』というマンガを描くことを通して、受難の記憶を残す慰霊碑に興味を持つようになりました。「被害者を祀り暴力を記録するまじめな目的で慰霊碑を建立した」という目的はいかにもまじめな人達に認めてもらえそうなものですが、しかし「…という当初の目的がいつしか忘れられ、いまではテーマパークのような不まじめに頽落した形で落ち着いている」といった後日談までは、肯定的なものとしてはなかなか理解してもらえなさそうな気がします。だからといってこの現実に目を向けずに「まじめ−不まじめ」の往還を軽視していると、被害者の順調な回復を阻んでしまうことにもなりかねないのでよくないと自分は思います。なので、その重要さをあえて表現するようなことを、次にチャンスがあるなら是非したいと思いました。

今回、現在の東遊園地を歩くことができてとても面白かったです。