2022-01-28

先の一月場所で、ケガで膝や踵を痛めながら無理を押して土俵に上がりつづけた横綱照ノ富士関の姿が峻烈でした。去年から大相撲を見はじめた自分は、力士の方々に親しみをおぼえるにつれ、ケガのつらさもより深刻に感じられて、休場や包帯姿を見るにしのびなくおぼえはじめました。このために自分は大相撲を見ることをやめるかもしれないとも思いましたが、自分がそうしたところで力士の方々のケガが無くなるわけでないし、大相撲にケガが避けがたい付き物であることは今までも承知の上で楽しんできたはずで、見かけの感情に乱されつつも、自分が最初に好きになった気持ちと等しく向き合い、ありのまま見届けられたらと思いました。

2022-01-21

去年から相撲が好きになり、昨日ふと思い立ち、今日初めて両国国技館へ行きました。2階席から見わたすと、儀礼的な繰り返しと空間のどこを見てもかっこよく、用意していったラジオアプリの出番もないほど夢中でした。テレビでいつも応援している力士の応援タオルを買い、客席で掲げてみました。しかしこうして会場にくれば、どの力士も全員かっこよく見えました。

2022-01-09

『書痴まんが』という漫画アンソロジーに参加しています。拙著『ちくまさん』所収の「きょうのひと」が再録されます。

2022-01-07

『鶏の墳丘』という映画を観ました。日本文化で育った自分にも親しみやすい映像と音で、たのしかったです。語り口が複雑で、物語がたやすく見通せないのは、検閲対策でしょうか。一つ一つを味わうより先に目まぐるしく切り替わる映像を、いつかゆっくり観直せたらと思いました。

楽音と非楽音に区別はない

数週間前、拙宅の庭のすぐ裏手に新しく家を建てる予定のご夫婦が、わざわざ訪ねていらして「きっと工事がうるさくなると思いますので…」とご丁寧にフェイスタオルをくださったとき、なんとよく気がつくご夫婦だろう、そんなにお気になさらなくてもよいのに、もし万が一うるさかった時はいただいたこのタオルを耳の穴に詰め込みますよ、ははと軽く受け止めていたのですが、いざ工事がはじまると予想の10倍うるさく、いつも朝起きるのが遅い自分は騒音に叩き起こされ、このままではあわや健康な朝型生活になってしまいかねません。

(バリリリ、ガンガン、ギュイー、ゴロンゴロン、ドガガーン、オーイ)

思い返せば、いま建設工事がおこなわれているその場所には、かつては、老朽化した邸宅が建っていました。当時の住人の方とは自分は交流がなく、いつの間にそこを立ち去られたのかわかりません。とにかく、あるときパワーショベルがやってきて、取り壊しの工事がはじまり、そのときもまた、すさまじい騒音でした。なにしろ距離が近いのです。そして工事が完了し、裏手が完全な更地となってからの数ヶ月間、我々に思いがけない出来事が起こりました・・・なんと、おどろいたことに、はじめて太陽を満喫することができたのです。

じつは拙宅は周囲を高い建物に囲まれた立地にありました。あまり光が届かない小さな庭つきの、遮光カーテンいらずのじめじめした薄闇の空間を、家族ももともとはあまり気に入りませんでした。引きこもって音楽を聴いていることが多い自分は、闇の中でも平気なつもりでしたが、しかし、庭に影を落としていた建物が撤去されたことによって、はじめてあたたかい陽光が満ちあふれ、闇のすみずみへ反射されました。本当に思いがけないことでした。洗濯物がとにかく乾くし、でたらめに朝日のふりそそぐベッドでごろごろし、家族の機嫌もよく、ハーブの栽培などもはじめ、光と香りに満たされ、インドア派の自分でさえ、さすがに感動しました。まさか我々がこんなにも太陽にありつける日がくるなんて、拙宅がこんなに素敵に生まれ変わりえたなんて・・・

でも、あの素敵なご夫婦のことだから、いま建設中のあれは、きっとまた大きな邸宅にちがいありません。とても立派な構造物が完成するでしょう。太陽は照らす相手を選びませんが、人間がそうさせてくれません。短い春は終わりました。厳然と存在する光の優先権を回していただけず、うちの庭はまたもとの青い闇にすっぽり飲み込まれ、今度こそ永遠に閉ざされ、家族の顔にもつめたい影がさしてしまうのでしょう。この白いフェイスタオルは、ほら、白旗がわりにこれでも振っておきなさい、というメッセージでもありましたでしょうか。ならばおかえしに、両腕いっぱいのローズマリーを贈ってさしあげたい。うちの庭で数カ月もの間太陽を吸って、すくすく育った元気なローズマリーの束を、どのみち闇の底で枯れ果てる運命ならば、せめてもの慈悲に、根こそぎ刈り取り、今のうちに、今まさに、とうてい無視できない工事の騒音が、闇なる日々の再来を告げるので。

(バリリリ、ガンガン、ギュイー、ゴロンゴロン、ドガガーン、オーイ)

ジョン・ケージに「楽音と非楽音に区別はない」という言葉があるそうです。しかし自分の耳には、工事の音(バリリリ、ガンガン、ギュイー、ゴロンゴロン、ドガガーン、オーイ)はただただ耳障りで、とうてい音楽に聴こえたことはありません。もしここでなにか音楽を流そうとしても、工事の騒音によって無残に引き裂かれ、飛び散ったメロディの残骸が新しい騒音の一個となるばかりでしょうし、もしかすると、ノイズ音楽をかける以上に耳障りかもしれません。

でも、ちょっとは音楽っぽい規則性がありつつ、偶発性も許しそうな、ちょうどいい按配の音楽が迎えに来てくれたらどうでしょうか? つまり、 ポップソングとノイズの間のどこかに、どうかすると、この工事の騒音がちょうど音楽に聴こえるような、ちょうどいいBGMはないものか? もしも万が一、この騒音を音楽に変えることができたなら、「楽音と非楽音に区別はない」をリアルに実装できたら、それはとても素敵なことじゃないでしょうか? そう思いました。自分はジョン・ケージのことを全然知りませんが、短い春が終わったいま、ほかに信じられるものも無いし、ふと全然知らないジョン・ケージを信じてみたい気持ちになりました。そこで、色んな音楽をかけて試してみました。あれでもない、これでもない・・・

果たしてそれはありました。正解はgoatでした。今まさに工事が行われているなかでgoatのアルバムをかけると、その音楽にみちびかれ、工事の音がはじめて音楽に聴こえだしました。

goat – ON FIRE

(バリリリ、ガンガン、ギュイー、ゴロンゴロン、ドガガーン、オーイ)

「うるせ〜・・・ あの夫婦〜・・・ この人生〜・・・」

(バリリリ、ガンガン、ギュイー、ゴロンゴロン、ドガガーン、オーイ)+(goatの音楽)

「アガる〜!!! あの夫婦〜!!! この人生〜!!!」

世界に工事がある以上、工事の騒音はつきもので、世界に色んな音楽が必要なのは、色んな現実があるからかなと思いました。今、目の前で工事の音を聴きながら、自分は踊っています。皆さんもぜひやってみてください。