
2025-10-27

Tsuchika Nishimura Web site

連日国内で多くの熊害が報道されており、クマが自然の脅威であることをあらためて思い知らされます。被害にあわれた方々に心からお見舞い申し上げます。
ふと、近い将来、クマをかわいらしく肯定的に表現することが反社会的とみなされる風潮になるかもしれないと想像しました。それからまた、遠い未来、人間が熊害問題を克服できたとしたら今度は逆にクマに同情的な風潮になるかもしれないと想像しました。
クマが恐ろしい害獣であると同時にかわいいキャラクターでもあるという二重性に自分はやや固執するところもあり、どんな世の中になったとしても自分が描くものは誰かにとって不謹慎にあたりうると思いました。せめて誰かにとっておもしろいクマであったらいいなと思います。

忘れないで夢を 冷やさないでお腹

『フリースタイル 65』のイラストを担当いたしました。





いつもインスタグラムでクマ動画ばかり見て無限に時間を溶かしてきました。最近、AIが生成したAIクマ動画も流れてくるようになりました。このクマ動画は本物?AI?と考えながら見ているうちに自分は「自分っていつも『自分は”本物”を見ている』って信じながらインスタグラムをしていたんだな〜」と初めて自覚しました。そこでインスタグラムでクマ動画を見ることをやめました。スッとやめられたのは、たぶん沢山見すぎて、癒やされを通り越して体にだるみが降り積もる無意味限界意味時間に突入していたせいもあると思います。気づかせてくれたAIにこの場を借りてお礼を言わせてください。
ありがとう。
自分が描くクマも、AIが無限に生成してくれたら絶対その方がはるかに早くて品質も安定していて、自分の手で描く必要はないと思います。今はまだ「手で描く楽しさ」が動機の大半で、たとえAIが代替してくれても自分はクマを描くと思われるし、べつにコンスタントに高品質なクマを供給しつづける必要にも迫られていないので、自分の手で描いています。
誰もが自らを売り込みたくて信用を得たくて大量の空手形を互いに濫発しあい、いざ誰かが破綻して滞ったとき、裏書きをたどるとそこには振出人がいて、支払いの義務が生じ、善意の人ばかりが本物の労働で埋め合わせをしいられる世の中が詐欺だとして、それを告発する手続きが問題なく機能する程度にはこの世の中を保って破滅しすぎないように、しょぼくても本物のクマを描く人間であれたらと思いました。


動物を見るとなんの疑いもなく自分は動物の味方だと思ってしまう感覚があって、子供のころは絶滅動物の本を読みながら絶滅動物になったつもりで共感していました。絶滅動物の保護を訴えたナチスの思想と所業を知ってからはこの感覚でいくと間違う危険性があると考え、自分を動物の味方とは信じすぎないように心がけました。それでもやはり動物に心のナレーションを勝手にあてる行為は楽しすぎてどうしても止められず、なら娯楽のネタとして発散させようと思って動物がしゃべるマンガを描いたりもしました。娯楽にはいいけど、現実に動物の心の声がわかるかのようにほのめかす人の声にはいつも疑いを忘れずにいたいです。

