2025-10-14

いつもインスタグラムでクマ動画ばかり見て無限に時間を溶かしています。最近AIが生成したAIクマ動画も流れてくるようになりました。このクマ動画は本物?AI?と考えながら見ることをつうじて自分は「自分っていつも『自分は”本物”を見ている』って思いながらインスタグラムをしていたんだな〜」と初めて自覚しました。それでインスタグラムでクマ動画を見ることをやめました。スッとやめられたのは、たぶん沢山見すぎて、癒やされを通り越して体にだるみが降り積もる無意味限界意味時間に突入していたせいもあると思います。気づかせてくれたAIにこの場を借りてお礼を言わせてください。

ありがとう。

自分が描いているクマも、AIが無限に生成してくれたら絶対その方がはるかに早くて品質も安定していて、自分の手で描く必要はないと思います。今は「手で描く楽しさ」が動機の大半で、たとえAIが代替してくれても自分はクマを描くと思われるし、べつにコンスタントに高品質なクマを供給しつづける必要にも迫られていないので、自分の手で描いています。

誰もが自らを売り込みたくて信用を得たくて大量の空手形を互いに濫発しあい、いざ誰かが破綻して滞ったとき、裏書きをたどるとそこには振出人がいて、支払いの義務が生じ、善意の人ばかりが本物の労働で埋め合わせをしいられる世の中が詐欺だとして、それを告発する手続きが問題なく機能する程度にはこの世の中を保って破滅しすぎないように、しょぼくても本物のクマを描く人間であれたらと思いました。

2025-09-25

動物を見るとなんの疑いもなく自分は動物の味方だと思ってしまう感覚があって、子供のころは絶滅動物の本を読みながら絶滅動物になったつもりで共感していました。絶滅動物の保護を訴えたナチスの思想と所業を知ってからはこの感覚でいくと間違う危険性があると考え、自分を動物の味方とは信じすぎないように心がけました。それでもやはり動物に心のナレーションを勝手にあてる行為は楽しすぎてどうしても止められず、なら娯楽のネタとして発散させようと思って動物がしゃべるマンガを描いたりもしました。娯楽にはいいけど、現実に動物の心の声がわかるかのようにほのめかす人の声にはいつも疑いを忘れずにいたいです。

2025-07-21

同居人に嫌われたとき、自分のほうは好きだったので問題でした。当時の投稿を見返すと「今回の目標は、サブカル漫画が大嫌いな同居人にムカつかれないような漫画」とあり、それはまったく素直な気持ちでしたが、今思うとこんな屈託のなさも意図せず侮蔑を伝えていたのでしょうか。彼は侮蔑に敏感で褒めも簡単に受け取りませんでした。彼が家を出たあと彼を思って漫画を描いて、コミティアに出しました。商業誌で連載した頃はもし彼が読んだとしても憎まないですむ漫画であるように演出を練りました。しかし結局は気がゆるみ、最後に会ったときめちゃくちゃ遅刻してしまい、敬意も伝えられず、連絡先もアカウント名も何度聞いても最後まで教えてもらえませんでした。それで、今では心の中でアタックしています。

2025-05-11

先日母を殴打した暴漢を許せず呪いながら過ごす日々のなか、たまたまお仕事の打ち合わせの場所に高名な漫画家先生がいらして、一瞬あいさつを交わす流れになり、おそれながら敬意を表して大好きな作品名を申し上げたのですが、家に帰ってからその漫画を読み返してみたところ、呪いのバカバカしさを痛烈に思い知らされる内容で、爆笑してしまい、以前よりもっと大好きになりました。漫画は本当に最高!と感じた、母の日でした。

2025-04-28

その暴漢は自らは無傷のまま女性に痛みを与えることに大変たけており、非力で無防備な高齢者を選りすぐる確かな観察眼と、雑踏にまぎれ近づく周到さと、すれ違いざまの不意をつく打撃速度を誇っていたようです。神戸三ノ宮駅前の路上で標的に選ばれたのが母でした。一瞬ののち暴漢は悪辣な言葉を吐いて足早に立ち去り、混乱する母の上腕部にどす黒い痣が大きくひろがりました。

痛ましい凶行をどうしても未然に防ぎたいのに、凶行前は捕縛できず、凶行後は取り返しがつきません。世の理が暴漢の善意ばかり信じて待ってあげている間、自分にできることとして、呪いをかけようと思います。アイロニーの呪いをかけられた者は、どんな高く分厚い壁も半透明に見え、自らの信念の外部にいる思いがけない冷ややかな己自身を片時も見過ごせなくなるのです。